アバター ファイヤー アンド アッシュ
シリーズ第3作目だが、ストーリー展開は主人公の家族が敵の人質になっては奪還される、巨大クジラトゥルクン一族の掟と、はぐれトゥルクンのパヤカンとの絆で板挟みになるロアクの苦悩は前作と同じで、クライマックスの戦闘シーンも1作目とほぼ同じパターン。主人公のジェイクと敵役のクオリッチの親子の問題がこのシリーズの視覚的スケールに合わないほど作品の規模を縮めてしまったように思える。それでも戦闘シーンの迫力とジェイクの妻ネイティリがクオリッチの息子スパイダーを家族の一員として認め、彼がエイワの記憶の中で1作目の戦士たちに祝福されるエモーショナルな描写、ナヴィの悪役のヴァランの存在感など、見所も多いがそこまでの長時間の冗長な展開はきつく、自分はブルーレイソフトは欲しいと思うが、1作目のように人に手放しで観賞を勧める出来では無かった。
果てしなきスカーレット
今日の朝一で近所のシネコンに行って来たが、客は私を含めて7人くらい。実際に観てSNSでの悪評のように駄作かと言うと、むしろ怪作だと思う。「赦し」を全面に出して戦争の終わりを願うメッセージは買うけど、映画に大事なキャラクターの行動理由や世界設定や細部の描写などは殆ど描かれていないし、巨大な黒龍もご都合主義の極みで、脚本は壊滅的に酷い。最後にスカーレットが息を吹き返し、クローディアスが死ぬ理由も昭和のギャグ漫画みたいで、彼女が剣で刺し違えようとした結果の方が自然だと思う。
だが仮に脚本をプロのライターが書いても、メインのストーリーが復讐譚なので内容も映像も暗く、SNSでバズっても20億円くらいしか稼げなかった気がする。細田守監督の演出力は健在だし、終盤のカタルシスは「竜とそばかすの姫」と同じく好印象だったので、監督が脚本や歌の作詞まで自分でやったワンマン体制と、題材自体が一般層に受けなかったという二重のミスを犯した細田監督の大失敗が残念だ。
所有する時代の終焉
ブルーレイはソフトもプレーヤーも製造中止になるらしい。確かにこれだけ配信が普及するともうディスクの立ち位置は狭まる一方で、手元に置いていれば配信停止の心配が無い、配信でもテレビでも放送されない作品でも、ディスクが出ていれば観れる事が、数少ないメリットだ。でも最近は最低でも3000円以上するブルーレイソフトを買う事に意味を感じなくなって来てる。書籍や音楽や映像がネットで楽しめるようになった今では、私もこれらを購入する時に「形ある物」を選択しないようになった。
昭和時代の富裕層や、成功した実業家や映画スターは豪邸や高級車、ヨットなどを所有して満足感を得ていたのだろうが、平成時代の富裕層は立地の良さと居住区域のステータスを重視して高級マンションでの居住が主流になった。車もヨットも維持費が掛かるし、経済規模も縮小している令和のこの国で、昭和の富豪のようなライフスタイルを送っている人はあまり居ないだろう。
富裕層も「無駄遣い」を避けている時代に、私のような庶民はスマホとタブレットとノートパソコンが日常の娯楽の中心だ。これらで満たされない物は劇場で観る映画くらいで、亡き父のようなカメラや絵画の収集は経済的にも無理だ。美術館巡りや好きな物のコレクションは富裕層や独身貴族のマニアの楽しみに限定されている。絵を描きたいけど訓練は嫌で道具を揃えるのも面倒な人間には、AIイラストという驚きのツールが出て来た。
ネット時代になって孤独な時間をむしろ若い頃より楽しめるようになって来たのか、意欲が減退してネット環境を受け入れてるだけなのかは自分の中でもはっきりしないが、漫画や小説は紙の書籍、映画はブルーレイソフト、音楽はCDの時代に戻りたいと思わなくなって来たのは確かだ。レンタルビデオ店のVHSテープでも置いてなかった映画を大手配信サイトで観れるというのはとてもありがたい事だから。
弱気
40代になると死にたい気分になる日が増えて来たが、50歳になると不安で堪らなくなり、更に弱気になって来た。寝たらそのまま起きなければいいのにとすら思う。