観てもいない日本アカデミー賞に物申す

審査基準に毎回首を傾げてしまうのは日本アカデミー賞も同様だ。最優秀に選ばれる俳優が賞にふさわしいかどうかはこの際措いといて、例えばある年に最優秀助演女優賞を獲得したのは誰だか知らないが、なぜ「愛のむきだし」であれ程の演技をした満島ひかりが優秀助演賞に選ばれもしなかったのか。
そして今年は「八日目の蝉に主演した井上真央が最優秀主演女優賞を獲得したが、映画を観た人は首を傾げただろう。なぜ賞は永作博美の物ではないのかと。井上も主役の一人だからダブルで優秀賞を獲るというなら分かる。ところが永作は同じ最優秀でも助演の方で獲っている。他の映画賞では主演で女優賞を貰っているのにだ。
日本アカデミー賞はこうした首を傾げる選考基準で毎年多くの俳優や監督を落としている。それも落とされる人の中には「キネマ旬報ベストテン」では受賞した人が少なくない。この映画賞の設立目的はウィキペディアにも書かれているが、私には別の側面も設立の動機になっていると思う。「キネマ旬報ベストテン」では70年代近くまで牽制を振るった大手映画会社が手掛けた大作より、ATGなどの独立プロで製作された作品と、それに携わった映画人を表彰する事が度々あった。そしてそのATGには大手映画会社から飛び出して行った映画人が多く、キネ旬はそうした人達の反骨精神を讃えたのだ。当時のキネマ旬報は今よりずっと影響力のある映画雑誌だったから、大手映画会社にしてみれば自分達の手掛けた作品をしばしば無視するキネ旬に癪に障る物があったかもしれない。それが日本アカデミー賞を設立に繋がった理由の一つになったのだと思う。毎年授賞式をテレビ中継しているのはこの賞だけだ。
私はキネ旬派でも映画秘宝派でも本場のアカデミー派でもカンヌ(ベネチアとベルリンも)派でも無い。ただ日本アカデミー賞は私の一番嫌いな映画賞である。ビートたけしが「あんなの要らねえよ」と言っているのは単なる捨て台詞では無い。本場のアカデミー賞外国語映画賞に出品する時の基準に説得力が欠けてるように(たけしや園子温の映画は振るい落とされる事が多い)、この映画賞にもこちらが納得するような審査基準は無い。あるとすれば「資本力」だろう。スポンサーが強力な映画が、賞を総なめ出来るのだ。