成功のあとに続くのは花道か泥道か

奇跡やツキは何度も続かないと言うが、「ロード・オブ・ザ・リング」で大成功を収めたピーター・ジャクソンも、近年は低迷モードに入ったというイメージを持たれている。「ロード」の次回作に選んだ「キング・コング」は映画史に残る1933年のオリジナル版の世界観を忠実に再現した、圧倒的にリアルな絶海の孤島とニューヨークのセツト、「ロード」のゴラムで実現した俳優とCGクリエイターの理想的な共同作業を更に発展させたコングの表情豊かな演技で、オリジナル版のファンや映画マニアに高く評価されたが、日本を始め世界の一般客には関心を持たれずメガヒットには至らなかった。93年の「ジュラシック・パーク」の直後に作られてたらとか、エイドリアン・ブロディが演じたキャラクターをブラピが演じてたら(元々オリジナル版では船員の設定なのだから、インテリジェンスの無いブラピが演じても問題無い)などと考えてしまうが、後の祭りである。最も否定的な評価に「映画オタクの妄想が爆発しただけの作品」と言うのがあったが、正鵠を得た意見かもしれない(押井守が言っていたのだが)、偉大な夢想かどうでもいい妄想かはまさに受け取る人次第。映画作りと興行の難しさがはっきり出た出来事だった。
次にジャクソンが撮ったのはスピルバーグ製作の「ラブリーボーン」。これは一般客どころか映画マニアが観ても肯定的な要素の無い作品だった。ストーリー展開や構成に失敗している上に、ラストで「ゴースト」のようなカタルシスを得る事も出来ない。少女と異常事件をテーマにしたジャクソンの監督作品なら「乙女の祈り」の方が、実際に起きた事件を元にしただけあってずっとインパクトがある。少女の内面に踏み込んだ描き方をしていないのは「乙女」も「ラブリー」も同様で、ここら辺は宮崎駿に似ている。
今度の「ホビット」は映画ファンが久々に心待ちにしているジャクソンの新作である。「キング・コング」が無かった事にされているのが悔しいのだが、その事はどうでもいい。ジャクソンは別に落ち目になった監督では無い。しかし、巨大な成功は映画監督に取って足枷にしかならないと(これも押井守が著作で語っていたのだが)いうアニメ監督の格言通りの映画人生をジャクソンは歩き始めている。
それでも興行的に成功すれば、監督の選択肢が減る事は無い。ジョージ・ルーカスは「スター・ウォーズ」を完結させたあとに「レッド・テイルズ」という第二次大戦中の黒人パイロットを描いた映画を製作したのだが、主要キャストが全て黒人俳優なので出資者を募る事が出来ず、ルーカスが自腹で作らざるを得なかった。ルーカスはこの体験からハリウッドへの不信を更に強め、商業映画からの撤退を考えているらしいが、この選択はやや極端な物だ。ジャクソンの好む映画はもっと一般にも好まれるだろうから、「ホビット」シリーズの公開は彼の監督人生の仕切り直し的な意味合いも含んでいる。二部作での公開予定がまた三部作になろうとしているようなので、またしても波乱含みだが。