「おしん」の主役は両親じゃないだろう

来年に「おしん」が映画化されるという。昨今の昭和懐古ブームの中で、「おしん」にもリメイクか再放送かでまた光が当たるだろうとは思っていたが、キャスティングでのけぞった。おしん役は子役オーディションで決め、母親役が上戸彩、父親役が稲垣吾郎だというのだ。これは明らかに夫婦を主演にする目的で、双方の事務所が二人を脇役で貸す訳が無いとはいえ、これでは「おしん」のテーマが変わってしまう。数年前「火垂るの墓」がテレビドラマ化された時に、主役を節子の叔母にするという奇妙なキャスティングが話題になったが、こちらも松嶋奈々子を主演に迎える為に焦点がずれた作品になってしまった。
「火垂る」のドラマ版は観てないので松嶋が演技的に貢献したのかは知らないし、「おしん」もちゃんと観た事は無い。しかし俳優の知名度がいかに重要とはいえ、キャスティングは作品の根幹に関わる問題だ。ドラマ版の「おしん」の周囲の大人役は衣装やメイクの効果もあるが存在自体に説得力があった。上戸だと未だに少女に見えるので母親役など期待する方が無理だ。「おしん」の精神を本当に大事にするのなら、おしん自体を主役にして、子供時代は芦田愛菜など実力のある子役に演じさせるのが絶対条件だ(上戸には「絶対零度」という主演ドラマがあったが)。
映画を企画する際に原作の知名度ばかりを気にして作品のクオリティーは無視、キャスティングも芸能事務所の都合を最優先。脚本家も監督も製作委員会の方針に逆らう事など論外。その方が観客動員に結び付くからだが、私のような考えが古い映画ファンはとっくに日本のテレビ局映画に見切りを付けている。近所にシネコンがあるので夢のような環境に居るのだが、実際に足を運ぶ事は殆ど無い。敗戦から数十年の間の昭和の映画界は沢山の独立プロがあり、社会派映画も数え切れないほど制作された。しかし平成に入り、特に去年の震災以降、それをテーマにした作品はそれこそ指で数える位しか無い。テレビ局が作れば「絆」をテーマにしたり、津波が押し寄せる中での自分を犠牲にして人を救った人を描いた「泣かせる」作品にしかならないだろう。それもいいんだけど福島原発を扱った作品は、日航機事故をテーマにした「沈まぬ太陽」のように、あと15年か20年は掛かるかもしれない。