「ビヨンド」の単語に期待が掛かっている北野武

プロの映画監督の中で楽しんで映画を撮ってる人はごく少数だろう。「踊る大捜査線」でお馴染みの本広克行もシリーズの合間に目立たないが自分の撮りたい映画を作っているように見えるが、シリーズに縛られてる印象は拭えない(「海猿」の監督も然り)。北野武だけが自分の撮りたい物だけを撮ってる気がするが、「アウトレイジ」の次がその続編という事からも、彼でさえ次回作の選択肢が徐々に狭まりつつあるのかもしれない。彼が監督を続けていられるのは国際的映画賞の受賞(低予算の作家性の強い作品は海外の映画祭でのセールスが不可欠な要素)と、「座頭市」の興行的成功という二つの打開策が功を奏した為で、どちらかで失敗していたら彼の監督生命は終わっていたか実に細くなっていただろう。
今度の続編で再び北野映画ファンの注目を集めている「アウトレイジ」だが、私に取っての前作の注目点はアンサンブルキャストの他に、あの不朽の名作「仁義なき戦い」へのたけしなりの返答だった。「仁義なき」は同じ群像劇でも監督の深作と脚本の笠原は負けて行く若者への思い入れが深い。敵役の親分を魅力的に描いてはいるが親分はあくまで悪役である。しかし「アウトレイジ」で最後に勝ち残るあの二人にはそれ程の憎たらしさは無い。たけしにも敗れた者に思い入れが無い事は無いが、勝った者は頭がいいから勝ったので、作中のやくざ世界は血生臭いがある意味でフェアである。たけしに取っては勝者も敗者も等価値なのだ。だから終盤で彼が後輩の刑事に「KO負けよりTKO負けの方がいいでしょう?」と聞かれて「負けは負けだバカヤロウ」と返すのだ。この台詞は北野映画の久々の名台詞と言えるだろう。
こうした台詞が出て来るのは彼自身がある意味で勝者だからだ。同じように勝ち続けているイメージのあった島田紳介暴力団との距離感を見誤ったがゆえに破滅した。たけしも勝者だからといって徒労感や虚無感と無縁では無い(大金があると無いでは大違いだが)。次の「ビヨンド」では彼が演じる大友の結末に何を込めるのかも重要な見所になって来る。彼の最高傑作「ソナチネ」は彼の自殺願望がストレートに出たからこそ傑作になった。「HANA-BI」の心中が心に響かなかったのは、たけしがああいった夫婦を信じてるとは思えなかったからだ(むしろ脇役の大杉連の「喪失」の方がリアリティがあった)。描かれる大友の最期に彼の本音が感じられたら、それだけで私に取っては「満足な出来」になるだろう。意外と生き残るという肩透かしなオチになるかもしれないが。