大人になれなかった漫画少年2

昨日書いた寺田ヒロオは漫画家として筆を折るまでは仲間の漫画家の生活まで心配して金を貸す事もしばしばあった良識の人だったそうだが、同じように漫画に対して純粋な気持ちを持ち続けながら、寺田から借りた金を踏み倒す、編集者との取り決めは殆ど守らない、自分のペースでしか漫画を描けないなど、非常識極まりない漫画家人生を送ったのが、「トキワ荘」ファンの間ではつとに有名な奇人、森安なおやだ。
森安が終生好んだ題材は、地方の村や小さな町で懸命に生きる少女や少年を描いた話で、私は実家にあったトキワ荘メンバーの作品を集めた大型本に収録された「トキワ荘物語」(他の仲間のと違って久々に漫画に腕を振るえる喜びに満ち溢れた快作)と「みかんが川に流れる町」を読んだ事があるが、奉公先での生活に耐えられなくなった少女が、みかんを分けてくれた少年の居る島へ旅立つという切なさの漂う作品で、今思えば少年読者に配慮したエンターテインメント性より自分の慰みの為に描いたという事が解る良質な漫画だった。森安が破天荒な人物だったのに誰からも嫌われなかった(横田とくおは苦手に思っていたらしい)のは、森安の自己中だが悪意の無いその場しのぎの性格も一因だろうが、彼の漫画家としての才能に誰もが一目を置いていたからだろう。
寺田は少年読者や編集者や自分の家族に対しての責任感も強く、彼等の為にも懸命に漫画を描いた。しかし肝心の少年読者の嗜好が変わってしまい、寺田が嫌う「劇画」が彼の漫画以上の人気を得るようになった時に、彼はよる術を失ってしまったのだ。一方の森安は読者の為に描いていた訳では無いので、漫画界の変化への精神的ダメージは寺田のそれとは少し違っていた。彼は始めは妻子を養う為に、のちに別居して自分の生活費の為に大工仕事などをして食い繋いでいたので、漫画を描く時だけは寺田のような葛藤とは無縁だった。だから森安は筆を折る事は無く生涯現役だった。晩年には故郷の岡山の友人の尽力で、「烏城物語(岡山城の別名)」という作品を出版して貰い、岡山で記念パーティーも催されたという。その時の森安は晴れ晴れとした顔をしていたらしい。一方の寺田が最後に公の場に姿を見せたのは、彼の出発点にしてこよなく愛した雑誌でもある「漫画少年」の目録誌の自費出版の記念パーティーだった。しかし寺田はその目録誌に自分の新作を寄せる事は無かったのである。