小田和正が獲得した映像作品

今も第一線で活躍する大ベテラン歌手の小田和正が映画を二本撮った事があるのはファンの人なら記憶しているだろう。私も高校時代にオフコースのCDを借りまくった頃からの小田ファンなので二本とも観たが、一作目は映画としては褒める所の殆ど無い駄作だった。五年後に作られた二作目は最初の映画製作で味わった苦い経験をストーリーに活かして幾分かマシな出来になったが、実はそれより数年前に小田は自身のもう一つの才能が開花する経験をしていたのだ。
小田は二作目の映画を撮る数年前の93年に、ゴルフ雑誌の企画で親交のあったプロゴルファー青木功のロサンゼルスでの試合に、実際にキャディーとして参加した事がある。そしてその時の右往左往する自分の姿をテレビカメラに撮らせ、翌年にテレビ東京セミドキュメンタリー番組として放送したのだ。テレビ出演を極力避けていた小田は自分を飾らずに演出する手法に何かヒントを掴んだのか、同じ年には泉谷しげるらと立ち上げた雲仙普賢岳奥尻島救済ライブの映像を自ら編集・作曲しテレビ朝日で放送。そして01年から始まるTBSの「クリスマスの約束」で、自分と他者との関わりを飾らずに演出し、しかもオフコース時代に構想して挫折した「日本グラミー賞」で目指した、他のミュージシャンとの積極的交流(のちにこれはチャリティーライブで実現する事になる)という二つの要素を密接に絡ませた、他の大物ミュージシャン恒例の、年一回のライブ映像とは違う独特の音楽番組をスタートさせたのだ。
私は第一回しか観た事が無いが、当然この先10年以上も続く番組になるとは思っていなかったし、小田が現在でもドームコンサートを行えるとも思っていなかった。なぜ小田だけが類い稀なミュージシャンになれたのか。結局それだけ稀有な才能が小田にあったという事だ。彼のヴォーカリストとして、作詞・作曲・編曲を全て自身で手掛けるミュージシャンとしての才能と、自分と他者との関わりをライブの舞台に持ち込んで、自分と観客と視聴者と一体化させる才能、これら全てをこなせる稀有な能力は、映画を作るそれと結び付く事は殆ど無かったが、彼は自分のファンに、ミュージシャンにしか出来ない映像作品を今も送り続けている。