登校拒否=問題行動ではない

いじめ事件が報道されるといつも思うのが、なぜ日本の教育制度は、必要最低限の単位を取れば出席日数は問わないという規約を持ち込まないのだろう。志望校がある場合はそれなりの優秀な成績が要求されるからきちんと勉強しなければいけない。しかしとくに向学心が無ければ、学校からのテスト用紙を教師が家庭訪問で持参して、教師が立会いの元でテストをして、相応の点数を取り続ければ卒業という事でいいような気がする。
不登校児童を問題児扱いし、和を乱している元凶であるいじめっ子は野放置。私は高校二年の時にいじめが酷くなり、さすがに高校を辞めたくなって二日連続でズル休みをした。そうしたらいじめた側の方が心配してくれて(自殺されたら困るとでも思ったのだろうか)、戻ってからは酷いいじめは無くなった。今思えば辞めるどころか三年で卒業出来て本当に良かったと思う。学歴だけを取ってもいじめた側が高卒で、いじめで辞めた側が中退など理不尽極まりない。そして被害者の方が公正な判断を求めて訴えを起こしてもし勝てても、莫大な出費を求められるのは被害者の側。学校に限らず世の中の弱肉強食ぶりに弱者が立ち向かうには、何らかの手段で常に自分を興奮状態に置いて立ち向かうしかないのかもしれない。
最後に私が無事卒業出来たカラクリを書いて置く。私はどうしても苦手な教科があって毎年追試験を受けていた。その追試験で自分は手応えを感じないまま受けて(必死に勉強はしたのだが)どうにか単位を取って、その時の学年主任でもあった教科担任から「こいつとこいつはダメだな」と言ってるのを聞き逃さなかった。その二人が私を一番いじめた連中だったからだ。これで3年に上がればあいつらとオサラバ出来ると、私は単純にそう考えた。ところが新学期を迎えたらその二人も無事に進級。私が手応えを感じないまま進級出来たのと同じカラクリが使われてたとしか思えない。私が通ってたのは私立校だから留年者は極力出さず、素行にあまりにも問題があれば自主退学させる(実際二年までは毎年一人か二人は辞めて行った)というのが方針だった気がする。学校は体面しか考えない所だというのを実感した体験だった。そして高校の卒業式で得た開放感というのは格別な物で、あれ程の開放感は後にも先にも感じた事は無い。