早送り主義について思った事

いま映画や読書よりスマホいじりを優先する人は、映像作品を観る時も基本早送りで、それが出来ない映画館ではつまらないと感じたらスマホをいじり出すのが当たり前らしい。私も配信や録画した映画を観て退屈になったら早送りする事が増えて来たが、始めから飛ばし観するという観賞方法は取らない。すっかり備忘録になってしまった某大手映画サイトへのユーザーコメントも、最近は最後まで観た作品だけ書き込む事にしている。読書も基本は読了するまでやめない(ただし一番苦痛な時間でもある)。

こうした飛ばし観中心の観賞の一番の問題点は、映像作品の受け手として殆ど成長しない事だ。私は途中で飛ばし観した作品を他のユーザーや著名人が誉めてたりするのを読むと気になってしまい、もう一度観賞する事があるが、そうして良さが解った作品も少なからずある。だったら何度休憩を取っても最後まで観るべきなのだが、それが出来ないのはもう性格なのだろう。

ろくに観ないで駄作だと感想をツイートするのは邪道だと思うが、テンポがたるい作品ばかり作り続ける監督は敬遠したくなる。長くて難解な映画はスポンサー、劇場側、何より観客に嫌がれるので、ますます制作資金が集めづらくなっているだろうし、クリエイターは困窮生活を送っているという。そういった映画を始めから観ないと決めてはいないけど、聞いた事も無い監督の4時間もする映画を劇場で観る気にもなれない(経済的に無理だし)。

アート系の新作映画を劇場で観るヘビーユーザーはスマホ依存症者にツイッターで映画の善し悪しを語られるのは嘆かわしいと思うだろうが、私は半分しか同意できない。団塊ジュニアなのでアナログとデジタルの両方の良さが解るとも言えるが、どちらを極める事も出来ない中途半端な感性しか持ち合わせていないのが、我ながら情けない所だ。ただ配信に代表されるようなデジタルはツールで、観賞して作品を評価する時は最初から最後まで早送りしないで観るアナログであるべきだと思っている。だからこれからも傑作を知りたければ、宝探し(木根真知子)のように観続けるしかないのだ。