真贋より気になる事

絵画で昔問題になった贋作はれっきとした犯罪行為だが、私は映画や小説や漫画の場合はホンモノでもニセモノでもどっちでもいいと思っている。白洲正子は気に入った骨董品はニセモノでも構わず購入していたというが、これこそ「買わずに後悔するより買って後悔した方がいい」の代表例だろう。だからといって自分の意見が有るか無いかなら話は違って来る。私は真贋の区別は付かないが好き嫌いは激しい。
私が嫌いなのは、渡辺淳一秋元康などのように、作劇から売れるかどうかの計算が透けて見える作品だ。実際売れる作品を書いてるのだから、彼等の嗅覚はある意味で鋭い。しかしそういった本の書き方は読者を騙しているように感じられて、私は彼らの著作を買いたくは無い。同じような理由で買いたくないのは浅田次郎辻仁成のように、文学賞を獲る為に執念を感じる作家たちだ。こういう人は題材選びからして賞を獲る事が目的になっているので胡散臭い。辻などは芥川賞を獲った「海峡の光」で文体すら変えたのだからその器用さに呆れてしまった。高校時代は彼の著作は好きだったし、「ピアニシモ」は今でもある意味で好きだ。でもその頃に彼が書いていたのは小説であって文学では無かった。文学的思考を身に付けていないくせに芥川賞欲しさで題材や文体を変えた彼のカメレオンぶりに舌を巻いても捕らえられる事は無くなった訳だ。
しかし目的の文学賞を獲って彼等が満ち足りた人生を送っているとはとても思えない。浅田や辻はごくたまにテレビで見掛けるが、二人、特に浅田の顔付きや話し方から感じられるのは「虚勢」の二文字だ。本当に不快になって来るので、私は浅田がテレビに出たらチャンネルを変える。彼を支持しているか、あやかりたい人なら番組を観る価値はあるだろうけど。